Hi-Stat Vox No.2 (2008年12月3日)

クルーグマンのノーベル経済学賞受賞に際して
–国際貿易論への貢献–

石川城太(一橋大学経済学研究科教授)

Photo : Jota Ishikawa

「来た~!」お笑い芸人の物まねで有名となったCMのフレーズではないが、やっとクルーグマン(Paul Krugman)にノーベル賞の順番が回って来た。受賞理由は、「新しい国際貿易理論と経済地理学の確立」であるが、新経済地理学は新国際貿易理論の延長線上にあると見なすこともでき、「新貿易理論の確立」だけでも十分にノーベル賞に値する。国際貿易論での業績を理由にノーベル賞を受賞したのは、実に 1977年のミード(James E. Meade)とオリーン(Bertil Ohlin)以来である。専攻分野が同じ研究者としては、うれしいかぎりであり、心から祝福したい。もちろん、ミードとオリーン以外の受賞者でも、サミュエルソン(Paul A. Samuelson、1970年受賞)、レオンティエフ(Wassily Leontief、1973年受賞)、マンデル(Robert A. Mundell、1999年受賞)などは、国際貿易の分野において、それぞれ重要な貢献をしているが、それは彼らの輝かしい業績の”One of them”でしかなく、国際貿易論における貢献が受賞の主な理由ではない。

めずらしい単独受賞

後述するように、クルーグマンの業績には文句のつけようがないが、最近では共同受賞するのが当たり前のようになっていたノーベル経済学賞において、単独の受賞には疑問を持つ経済学者も少なくない。もし「新貿易理論の確立」を強調するのであれば、ディキシット(Avinash Dixit)、ノーマン(Victor D. Norman)、ブランダー(James A. Brander)、ヘルプマン(Elhanan Helpman)あたりが共同受賞しても不思議ではない。他方、もし「新経済地理学の確立」を強調するのであれば、藤田昌久やヴェナブルズ(Anthony J. Venables)あたりがこの分野のパイオニアとして同様に評価されてもおかしくない。

また、クルーグマンは、ブッシュ共和党政権に批判的であり、大統領選挙を目前に控えた時期に、彼にノーベル賞を授与することに反感を覚える共和党支持者も結構いたようである。歯に衣着せぬ彼の言動は多くの敵を作ったと言われ、ノーベル賞の受賞は無理ではないかとの噂もあった。面白いことに、クルーグマンは、レーガン共和党政権において、経済諮問評議会の国際経済の主任スタッフを務めている。また、彼は、1992年のクリントンの大統領当選に大きな役割を果たして経済諮問評議会の議長とも目されたが、クリントン民主党政権で労働長官を務めたロバート・ライシュたちに対する「歯に衣着せぬ言動」によって、それを棒に振ることになった。

クルーグマンは、日本を含むアジア経済にも興味を持っている。日本のバブル崩壊後の不況時に、対策として「インフレターゲット政策」を強く推奨し、政策論争を引き起こした。また、1997年に起こったアジア通貨危機の前に、その当時のアジアの急速な成長は、単に資本や労働などの生産要素の投入拡大から生じたものであり、長続きしないかもしれないとの見解を述べたことでも有名である。

クルーグマンの業績紹介

● 産業内貿易理論の確立

さて、クルーグマンの業績に目を移してみよう。国際貿易の現状を見てみると、同じ産業に属する財(とくに工業製品)の貿易、いわゆる「産業内貿易」が活発である。産業内貿易は、とくに先進国間でよく見られる。リカード・モデルやヘクシャー=オリーン・モデルといった伝統的な貿易理論は、異なる産業に属する財(たとえば、農産物と工業製品)の貿易、いわゆる「産業間貿易」を説明するのには有用であるが、産業内貿易をうまく説明できない。クルーグマンの業績の1つは、産業内貿易の理論を確立したことにある。その理論には、大きく分けて2つのモデルがある。1つは独占的競争モデルを用いたものであり、もう1つは寡占モデルを用いたものである。その概要は、ヘルプマンと共著の2冊の教科書(Helpman and Krugman, 1985, 1989)にまとめられている。

貿易において規模の経済が重要な役割を果たすことは、オリーンをはじめとして、かなり前から指摘されていた。しかし、伝統的貿易理論は完全競争を前提としており、不完全競争をもたらす規模の経済をうまく取り込めていなかった。1970年代後半に、クルーグマン(Krugman, 1979, 1980)、ディキシット、ノーマン(Dixit and Norman, 1980)、ランカスター(Lancaster, 1980)、ブランダー(Brander, 1981)たちによって、不完全競争と規模の経済が、産業内貿易を説明するフォーマルなモデルの中に組み込まれたのである。ただ、クルーグマン自身もノーベル賞選考委員会も独占的競争モデルに基づく産業内貿易理論の方を寡占モデルに基づく理論より重要視しているようである。

独占的競争モデルの特徴は、規模の経済と差別化された密接な代替財にある。独占的競争モデルに基づく産業内貿易理論のエッセンスは、次のようなものである。規模の経済のもとでは、ある程度多くの量を作らないとコストが下がらない。換言すれば、ある財(たとえば自動車)をたくさんのバラエティ(種類)作ろうとすると各バラエティの生産量が少量となってしまうため、費用が高くなりすぎる。このような場合、自国と外国で違ったバラエティを作ってお互いに貿易すれば、消費者は消費可能なバラエティが増えることで便益を得るし、貿易の結果、生産量が増えれば、規模の経済によってコストも下がるのである。

● 新経済地理学の確立

空間経済学とも呼ばれる新経済地理学は、基本的には、なぜ集積と分散が起こるのかを研究する分野である。クルーグマンが藤田・ヴェナブルズと一緒に書いた教科書(Fujita, Krugman and Venables, 1999)を見ればわかるように、とくに、輸送費の役割が重要視され、輸送費の低下が集積と分散に与える影響が分析の中心となっている。クルーグマンは、新経済地理学確立のヒントを国際競争における地域産業の集積の役割に焦点をあてた、ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ポーターの1985年の著書『国の競争優位』から得たと言っている。しかし、クルーグマンは、1979年の論文においてすでに集積形成につながる生産要素の移動についても言及しており、そこに新経済地理学の端緒が見られる。

クルーグマンは、1991年の論文において、いわゆる「中核-周辺モデル(core-periphery model)」を提示し、新経済地理学を主流経済学の1分野と確立すべく基礎を築いた。中核-周辺モデルも独占的競争モデルをベースにしているが、新貿易理論と比較して外部経済の役割を重要視している。モデルのエッセンスは、次のようなものである。企業は、規模の経済の活用と輸送費の節約のため大きな市場に立地しようとする。他方、労働者も、高い実質賃金とより多くのバラエティの消費を可能にする大きな市場に移動しようとする。この両方の誘因が相乗的に作用しあって、加速度的に大きな市場に企業と労働者の集積をもたらすことになる。

新経済地理学は、とくに欧州で注目を浴びた。欧州の経済統合が、企業の立地や労働移動にどのような影響を及ぼすのかという問題が、一般人も含め多くの人々の関心事だったからである。数年前までは、欧州で開かれる国際貿易論の国際会議に出席すると、そこで報告される論文の多くが中核-周辺モデルをもとにしたものだった。

最後に

クルーグマンは、順調にアカデミックなキャリアを築いてきたように思えるが、彼にもいろいろな苦悩はあったようである。とくに、無名の若手が斬新なアイディアを唱えても最初はなかなか受け入れてもらえない。しかし、一旦認められると、スターへの道を駆け上がれる可能性がある。クルーグマンの産業内貿易モデルのアイディアも博士論文の指導教授であったMITのルディガー・ドーンブッシュは評価してくれたようだが、当初はなかなか受け入れてもらえなかった。その逆境を跳ね返すだけのタフさとアイディアのすばらしさがあったからこそ今日のクルーグマンがあるのだろう。

参考文献

Brander, J. (1981), “Intra-Industry Trade in Identical Commodities”, Journal of International Economics 11, 1-14.

Dixit, A. and V. Norman (1980), Theory of International Trade: A Dual General Equilibrium Approach, Cambridge, Cambridge University Press.

Fujita, M., P. Krugman and A. Venables, (1999), The Spatial Economy: Cities, Regions and International Trade, Cambridge, MA: MIT Press.

Helpman, E. and P. Krugman (1985), Market Structure and Foreign Trade: Increasing Returns, Imperfect Competition, and the International Economy, Cambridge, MA: MIT Press.

Helpman, E. and P. Krugman (1989), Trade Policy and Market Structure, Cambridge, MA: MIT Press.

Krugman, P. (1979), “Increasing Returns, Monopolistic Competition and International Trade”, Journal of International Economics 9, 469-479.

Krugman, P. (1980), “Scale Economies, Product Differentiation, and Patterns of Trade”, American Economic Review 70, 950-959.

Krugman, P. (1991), “Increasing Returns and Economic Geography”, Journal of Political Economy 99, 483-499.

Lancaster, K. (1980), “Intra-Industry Trade under Perfect Monopolistic Competition”, Journal of International Economics 10, 151-171.

『経済セミナー』2008年12月号644号(日本評論社)に掲載