Hi-Stat Vox No.5 (2009年3月11日)

世界的な経済危機の構造的教訓と経済学

Daron Acemoglu(MIT and CEPR)

世界経済の危機は、経済学者にとって課題でありまた好機でもある。このコラムでは、経済学者の中でも特に創造的な論者であるダロン・アシモグル氏が、これまでの経済学では今回の危機の到来を予見できなかった背景や理由について論じている。また、危機に対処する政府に向けて経済学者が出すべき処方箋や、将来の危機を回避するために若い経済学者が取り組むべき課題について考察している。

世界危機は、経済学という学問にとって非常に重要な好機 ― 経済学で簡単に容認すべきでなかったアイデアを取捨する機会 ― でもある。市場を無条件で規制緩和すべきだという考えや、経済全体の景気変動を無視する考えは、軽薄で一時的な流行だったことが分かりつつある。そして、市場の制度的基盤を理論的に抽象化した分析は単純すぎるように思う。こうした限界点は、経済学者の自省と再考の必要性を意味している。また希望的であるが、若い経済学者による新しい研究が求められている、とも言える。今回の危機は、最近の出来事から判断しても色褪せない最重要の教訓を明確にする機会である。また、こうした教訓が、現在の政策論議にとって指針となるかを問う機会でもある。本日掲載したCEPRポリシー・インサイト第28号では、どういった知的な誤謬が犯されたのか、そして、必要とされる新たな理論研究という見地から、どのような教訓を引き出せるのかについて、筆者の見解を示している。また、危機に対する現在の政策では、経済成長や政治経済から得られた重要な教訓が正当に評価されてこなかった、という問題提起も行う。

経済学者の知的迎合から学んだ教訓

今回の危機の根本的な原因の多くは今では明確だが、経済学者は、危機の発生までそれらを識別していなかった。あまりに容易に容認された3 つの考え方があったため、経済学者は面倒な問題を軽視してきた。

  • 賢明な政策と新技術で景気変動の時代は終わっていた。

統計上では、1950年代以降に景気変動の波が際立って緩やかになっていることが示されている。しかし、景気循環の終焉が神話に過ぎなかったことは今や明らかである。実際、経済に及ぼす小規模なショックの影響を緩和した政策や技術で、経済は、起こる確率の極めて低いショックに対して極端に脆弱になった。性質の異なるリスクが多様化したことで、対立する関係にある集団が数多く生まれた。この新しい濃密な依存関係によって、金融機関や企業、そして家計の間で潜在的にドミノ効果が起こった。

資産価値が大幅に下落して同時に起った多くの企業破綻で、経済の景気変動は、市場経済システムの一部として組み込まれ、また、創造的破壊のプロセスの一部であることが浮き彫りになった。こうした変動が今後も継続することを考慮すると、変動の様々な原因を分析し、市場の効率的な機能に関連する要因や、市場の失敗から起る要因を理解するのに便利な経済モデルに、もっと注目すべきである。

  • 資本主義経済は制度が存在しない状況で機能し、市場によって私利私欲の行動による悪影響が奇跡的に妨げられる。

自由な市場とは、規制の無い市場ではない。よく設計された制度や規制は、市場が適切に機能するために不可欠である。制度の問題は、過去15年間の間に多くの注目を集めてきたが、主に、途上国の低開発の理由を説明するために議論され、先進国の持続的な繁栄と市場の基礎のために必要な制度を理解する目的では議論されなかった。

  • 長い歴史を持つ大企業は「ブランド資産」を十分保有するために、大企業自身による経営の監視を信頼することができる。

この証拠なき確信は、2つの決定的に困難な問題によって誤りであることが判明した。一つは、個々人が監視を行われなければならないこと。もう一つは、ブランド資産による自制的な監視下では、事後の処罰が確かなものでなければならないこと。結果として言うと、両方とも間違いであった。個人は、企業のブランド資産について関心を持たない可能性があり、特定の資産や無形資本が希少なのは、必要な懲罰が確定されたわけではなかったことを意味している。

明るい兆候

経済学者は、重要な経済学知見を欠き、政策立案者よりも先見性がなかった、と自らを非難することができる。さらに、現在の惨事を招く結果となった知的環境に加担した、とも言える。だが、今回の危機は好機でもある。すなわち、経済学は活性化して、挑戦的で興味深く、実際的な問題が明らかになった。頭脳明晰な若い経済学者にとって、今後10年間に取り組むべき新しい重要な問題を発見する心配はなさそうである。

政策立案者に向けた経済学者の処方箋

上述の3 つの誤った考え方は、長期の経済成長と政治経済に関係した経済学の原則と、関連があまりない。これらの原則は、最近の学問的議論にほとんど関係がなく、政策論議では完全に欠けていた。専門家の経済学者として、これらの原則が現在の政策に対して持つ意味を政策立案者に認識させるべきである。

重要な点は、短期的な問題を長期的な成長を阻害する政策で解決することが、政策および厚生の視点から見て好ましくないこと、である。イノベーションや資源の再配分は、長期的成長にとって鍵となる重要な要素であるが、潜在的に影響力の強い集団は、こうした変化に抵抗しがちである。発展途上国では、不運なショックや経済的危機に苦しむ貧困層が、市場システムに反対し、ポピュリスト的な反成長政策を支持しやすい。同様に、こうした脅威は、特に経済危機の真っ只中にある先進国にとっても重要である。

金融部門や自動車産業を救済する景気刺激策は、イノベーションや資源の再分配に影響を与える。特に、景気刺激策で生産性の低い部門や活動に資源が停滞すると、資源の新陳代謝は悪化する。市場の示す信号は、例えば、米国のデトロイトの三大自動車企業から労働と資本を、金融業界から高度な熟練労働者を、より革新的な産業に再配分すべきだ、ということを指示している。資源の再分配の停滞は、イノベーションの停滞を意味する。

不測の結果を回避する

これらの懸念は、景気刺激策を却下する十分な理由ではなく、むしろ、長期的な経済成長に対する刺激策の影響を検討する必要性を、意味している。単に景気後退の被害を緩和するだけでなく、長期的成長を深く後退させかねない不測の結果を回避するために、断固たる行動が必要となる。深く長い景気後退で、消費者と政策立案者が、現在の経済不振の原因は自由市場にある、と信じ始める危険性が高まる。そうなれば、市場経済から逸脱する動きが出てくるかもしれない。振り子が遠くまで振れすぎて、適切に規制された自由市場を通り越し、世界経済の将来的な成長の見通しを暗くしかねない政府の過剰な市場介入という方向に、向かう可能性がある。

包括的な景気刺激策は、不完全な内容があったとしても、こうした危機に対処する最善の策であろう。ただ、景気刺激策の中身は、資源の再配分とイノベーションの過程に及ぼす混乱を最小限に抑えるように、吟味すべきである。現状を恐れるあまり成長を犠牲にするのは、行動を起こさないのと同じくらい重大な誤りであろう。資本主義制度に対する信頼が崩壊するリスクを、無視するべきではない。

本コラムの原文(英文)

翻訳:COE研究員 田中清泰