国際政治経済学へのゲーム理論的アプローチ
古沢泰治(一橋大学大学院経済学研究科教授)
経済学の他の多くの分野と同様に、ゲーム理論は国際貿易理論の発展に大きく寄与してきました。国境を越えた企業間競争の分析には、ゲーム理論的考え方が不可欠です。貿易政策や環境問題に関する各国政府間での交渉や協調も、プレーヤーである比較的少数の国々が戦略的に振る舞うゲーム理論的環境にあります。また、産業のロビー活動といった政府と企業間の政治経済問題にもゲーム理論が適用されています。本稿では、ゲーム理論を用いて国際貿易理論が解き明かして(もしくは解き明かそうとして)きた国際政治経済学的問題について、私がこれまで研究してきた貿易問題をめぐる政府間の相互作用を中心に、簡単に紹介していきます。
各国政府がプレーヤーとして自らの貿易政策を決定するゲームは、囚人のジレンマ構造をしています。いわゆる最適関税理論によると、大国は関税などの貿易障壁をある程度上げることにより、交易条件の改善を通じて利益を得ます。その国の経済活動が世界価格に影響を及ぼすことのない小国であっても、輸入財産業の保護といった政治的な目的により、政府にとって最適な貿易障壁はゼロでないケースがほとんどです。しかし、全ての国がそれぞれ自らの利益のみを最大化しようとして貿易障壁を決めるならば、その結果(超大国を除く)ほとんど全ての国は自由貿易よりも低い厚生水準を甘受することになるでしょう。協調的貿易政策がパレート最適であるにも関わらず、各国は自らの利益のみを追求し、非協調的な貿易政策をとってしまうのです。
そこでWTOの存在が重要になってきます。パレート最適である自由貿易の達成、もしくはそれに少しでも近づくために、WTOは加盟国に貿易交渉の場を提供し、各国がより協調的な貿易政策をとる手助けをしているのです。実際、第2次世界大戦後の8回のGATT交渉ラウンドを通じ、特に工業品において、加盟国は大幅な関税障壁の削減に成功しています。また、交渉の場を提供する以上の積極的な役割も指摘されています。例えばBagwell and Staiger (1999, 2005)は、GATT/WTOの二大原則である「無差別の原則」と「相互性」が相互的貿易自由化に重要な貢献をしていることを、理論的に示しました。そして、WTOが積極的に関わり多国間交渉を後押しすることにより、各国の協定遵守意欲が高まることも期待されます(Furusawa, 2009)。
協定(国際法)違反に対する強い罰則規定の付与は、国内法と違って国際協定(国際法)にはそぐいません。協定違反を犯した国を牢屋に入れることはできないのです。そこで、各国の自主性を重んじながらも有効な、監獄行きに代わる罰則規定を考える必要があります。多国間交渉により各国の関税障壁を引き下げることに成功したとしても、そのような状況が長続きしなければ意味がないのです。Dixit (1987)は、ゲーム理論のフォーク定理を応用し、協定違反が発生すれば貿易戦争に突入するというメカニズムの下では、安定的な貿易自由化が達成されることを示しました。貿易戦争という罰則規定を盛り込むならば、有効な国際協定の青写真が描けるのです。
協定違反に対し有効で効率的な制裁を課すには、貿易政策の透明性を確保する必要があります。貿易政策が不透明ならば、そもそも協定違反が行われているかどうかさえ、正確な判断を下せなくなります。実際、貿易政策の透明性が完全に確保されているならば、「協定違反が観測されれば即座に協定は破棄される」と協定に記すだけで、安定的な協調体制を持続させることができます。このような協調メカニズムが自己拘束的メカニズムと呼ばれる所以です。このとき、WTOは貿易交渉の場を提供する以上の役割を果たすことはないでしょう。しかし現実にはもちろん様々な不確実性や情報の非対称性が存在し、貿易政策は不透明なものになっています。WTOは、その紛争処理機構を通じて貿易政策の透明性の向上に貢献したり、協定違反の疑いが十分に高いときのみ制裁措置を施すことを可能にしたりと、不確実な世界において持続的貿易自由化の実現に貢献しています(Furusawa, 2003)。
協調メカニズムが解明されて初めて、自由化された貿易の持続性やそのための方策、またWTOの役割などを探求することができます。協調メカニズムに対する我々の理解度を飛躍的に深めた繰り返しゲーム分野の発展は、貿易政策をめぐる国際協調制度の設計に大きく寄与してきたのです。
ここまで繰り返しゲームの応用による国際協調体制の分析を紹介してきましたが、ここからは少し視点を変えて、地域的自由貿易協定に対する新たなゲーム理論の応用について話を進めましょう。ドーハ・ラウンドの停滞に象徴されているように、近年多国間貿易交渉はなかなか実を結ばなくなってきています。それに代わって、2国間あるいは数か国間での自由貿易協定(FTA)が盛んに締結されるようになってきました。本来域外国に対し差別的な側面を持つFTAはどこまで進むのでしょうか?実質的に世界中の国々が自由貿易を行っていると言えるほど、FTAの締結は進み続けるのでしょうか?
この問いに答えるための分析方法として有力なのが、ネットワーク・ゲームです。Goyal and Joshi (2006)とFurusawa and Konishi (2007)は、Jackson and Wolinsky (1996)のネットワーク・ゲームを応用し、FTAの世界的ネットワークについて分析しました。この分析に特徴的なのは、任意の数の国を分析対象として、世界各国に拡がるFTA網の安定性について議論できることです。それまでのFTAに対する理論研究は3国モデルの枠組みで進められることが多かったのですが、それでは例えばアメリカ大陸・ヨーロッパ・アジアのFTA3極といったブロック経済的FTA網の実現可能性などを議論することができません。多数国の枠組みに適したネットワーク・ゲームをFTAの分析に用いることにより、FTAに関する現実的で興味深いテーマについて、これまでより格段に踏み込んだ理論研究を行うことが可能となったと考えています。
FTAネットワークの研究はまだ始まったばかりです。人口や産業規模の違う多数国モデルにおいて、各国のFTA締結インセンティブを議論し、安定的FTAネットワークが満たすべき条件を導出したFurusawa and Konishi (2007)の分析でも、全ての2国間でネットワークが形成される完備ネットワークの安定性を、静学的枠組みで議論するのが主要な分析でした。これからは、FTAネットワークの動学的分析が行われていくと期待されます。どちらかというと敬遠されてきた感のあるシミュレーションがこのトピックでは盛んに行われ、FTA網が世界的にどの様にそしてどこまで拡がっていくのか、ある程度予測できるようになるのではないでしょうか。
国際貿易理論は、近年大きな動きを見せてきました。Bernard, et al. (2003)やMelitz (2003)による研究に端を発した、企業の異質性を一般均衡分析に取り入れる動きです。一産業内に生産性等の異なる多数の企業が存在し、輸出活動等に関して異なる動きを見せるという、当たり前とも言える現象は、彼らの研究が発表されるまでは一般均衡分析の枠組みで語られることはありませんでした。しかし今、異質な企業の存在を明示的に取り入れた貿易モデルが数多く提案され、貿易政策の影響を企業レベルで見ていく研究が進んでいます。もちろんそれぞれの企業は、他の国内企業や外国企業と国内外で競争しています。また、R&Dや生産活動そして流通などに関し、企業は他の企業と協調してあたるケースも多々あります。労働組合との交渉など、経営者と労働者の問題もあります。これらのことは企業の異質性の影響を受け、また企業の異質性を生み出す源泉でもあります。このようなミクロレベルで繰り広げられる経済主体間の相互作用の分析に、ゲーム理論が有用なのは言うまでもありません。
世界経済は重層的に重なり合ったいくつものゲーム的構造からなっています。各企業内における労働者同士のゲーム的関係、労働者と経営者の関係、企業間の競争と協調、企業もしくは産業と政府、そして政府間の国際関係と、いくつものゲーム的構造から世界経済は形成されているのです。国際貿易理論の分野では、これからも益々ゲーム理論が応用されていくでしょう。そしてそれは、経済の重層構造を的確に捉える形で、モデルの中で重層的に用いられていくことでしょう。
参考文献
Bagwell, Kyle and Robert W. Staiger (1999), “An Economic Theory of GATT,” American Economic Review, 89, 215-248.
Bagwell, Kyle and Robert W. Staiger (2005), “Multilateral Trade Negotiations, Bilateral Opportunism and the Rules of GATT/WTO,” Journal of International Economics, 67, 268-294.
Bernard, Andrew B., Jonathan Eaton, J. Bradford Jensen, and Samuel Kortum (2003), “Plants and Productivity in International Trade,” American Economic Review, 93, 1268-1290.
Dixit, Avinash (1987), “Strategic Aspects of Trade Policy,” in Truman F. Bewley (ed.) Advances in Economic Theory: Fifth World Congress, Cambridge, Cambridge University Press.
Furusawa, Taiji (2003), “The Role of the WTO Dispute Settlement Procedure on International Cooperation,” unpublished manuscript, Hitotsubashi University.
Furusawa, Taiji (2009), “WTO as Moral Support,” Review of International Economics, 17, 327-337.
Furusawa, Taiji and Hideo Konishi (2007), “Free Trade Networks,” Journal of International Economics, 72, 310-335.
Goyal, Sanjeev and Sumit Joshi (2006), “Bilateralism and free trade,” International Economic Review, 47, 749-778.
Jackson, Matthew O. and Asher Wolinsky (1996), “A strategic model of social and economic networks,” Journal of Economic Theory, 71, 44-74.
Melitz, Marc J. (2003), “The Impact of Trade on Intra-Industry Reallocations and Aggregate Industry Productivity,” Econometrica, 71, 1695-1725.