世界の巨大都市は大き過ぎるのか?
Klaus Desmet (Universidad Carlos III, Madrid and CEPR)
Esteban Rossi-Hansberg (Princeton University)
社会と環境のために抑制が必要なほど、世界の巨大都市は際限なく拡張して、過密人口で管理できない都市になっているのだろうか?本コラムでは、都市規模のばらつきを縮小させるための政策は都市に住む人々の生活を向上させないことを提示する。むしろ中国のような発展途上国では大都市の規模は小さすぎるのかもしれない。
都市化の傾向は世界的に進展しており衰えを見せない。国際連合によると、2025年までにはおよそ50億人の人口が都市部に居住すると言われている。発展途上国で顕著なように、多くの都市の規模は爆発的に拡大している。例えば、ナイジェリアの都市ラゴスの人口は、今後15年間で50パーセント増加して1600万人に達すると予測されている(UN 2010)。近年、巨大都市の拡大抑制が生活の質向上につながるかという議論が盛んになってきている(例えば最近のThe Economistの論争を参照)。
しかし議論の焦点は、人々が都市に移動すべきか地方に残るべきかではなく、世界の(いくつかの)巨大都市が大きくなり過ぎたのか、という点である。より高賃金の仕事とより良い生活環境を求めて人々は都市に大挙する。ロスアンジェルスやムンバイといった世界の大きな主要都市の多くは生産性が高くて広い水域に面している。しかし、都市の規模が成長するにつれて、深刻化する混雑や犯罪、そして大気汚染の問題に悩ませられる。高まる混雑コストを要因として、人口増加によってどれくらいのスピードで効率性と生活環境の利点が失われていくのかは、ガバナンスの質に依存している。つまり、道路インフラや排水設備の整備、生活用水の供給や生活上の安全確保にかかっている。
こうした議論に従えば、もしニューヨークがウィリアムズポートより大きいなら、ニューヨークは効率性、生活環境、ガバナンスの質において優っているはずである。より一般的に言えば、都市規模の大きな差はこうした3つの要素の違いを反映していると言える。言い換えれば、もしある都市の効率性、生活環境、ガバナンスの質が似てくれば、これらの都市の規模もおそらく同じになるはずである。世界の巨大都市は縮小して、もしかして生活の質が改善するかもしれない。
我々は最近の研究論文でこうした疑問に答えた(Desmet and Rossi-Hansberg 2010)。はじめに米国の主要都市の地域における効率性、生活環境、ガバナンスを推定した。そして、もしすべての地域で効率性(もしくは生活環境)が同じになった場合に、都市規模の分布がどのように変わるのかを調べた。人口の再配分は予想通り大きかった。例えば、ロスアンジェルスの主要都市地域で効率性が平均レベルになると人口の29パーセントが減少する。また、ニューヨークとシカゴではそれぞれ77パーセントと46パーセント人口が減少する。驚くべきことかもしれないが、人口増加がもっとも顕著な都市はもっとも小規模の都市ではなく、中間的な規模の都市である。小規模都市の多くはその存在を特別な魅力に依存しており、それがなければ都市が消滅してしまう。こうした一例は風光明媚で有名なサンタフェである。例えばもし生活環境のレベルが平均だとしたら、人口の82パーセントが移動してしまう。
個別の都市のケースに対して、もしすべての主要都市地域で生活環境が同じレベルなら、西海岸の多くの地域とフロリダでは人口が拡散してしまう。これはもっともなことである。Rappaport and Sachs (2003)で議論されているように、沿岸地域における人口の集中は生活の質と大いに関連がある。例えばもし効率性の違いが無くなったら、中央の地域から人口が移動するだろうし、北東部の地域も同様であろう。もしすべての都市でガバナンスの質が同じであったら、中西部と北東部地域(今は衰退した米国北部の工業地帯であるラスト地帯も含む)では人口が流入する。つまり、これらの地域における問題の一部は、労働市場の機能不全や労働組合といったガバナンスの問題に関係していることを示唆する。例えば、ガバナンスが平均的なレベルだとしたらロチェスターの人口は37パーセント増加するだろう。
しかしながら、もしニューヨークとロスアンジェルスの規模が縮小したら、本当に人々の厚生は改善するのだろうか?驚くべきことに、大規模な人口の再配分にも関わらず、都市属性のより均等な分布によって生まれる厚生効果は非常に小さい。すべての都市における効率性(もしくは生活環境やガバナンス)が同じレベルになったとしても、実質所得はたかだか数パーセント変化するに過ぎない。例えばもしある都市で突然効率性が悪化しても、人々は労働時間を減らし(代わりに余暇に時間を費やして)、(人口流出のため)混雑コストが減少するため、人々の生活に対する影響は緩和される。
もちろんこうした思考実験は仮想であり、現実的に実行しようとしても、すべての都市で生活環境が同じになることはない。より現実的な試みとしては、都市における固有の特徴を前提と考えて、もし資源が空間的に最適に配分された場合に人々の厚生がどれくらい改善するのかを問うことである。実際に、都市の生産性と生活環境を所与としてその他の要素が外部性を通して都市規模に依存すると考える。その場合、現実に観察される都市規模の分布が社会的に最適化かどうか明らかではない。前述の思考実験における限定的な効果と同様に、最適な都市規模の分布が実現しても厚生効果の改善はたった0.6パーセントである。そして、規模分布の形状に対する影響が限定的であるにも関わらず、最適な規模の分布を達成するために、大都市はより拡大して小都市がより縮小する必要がある。結果として、都市規模に制約を課す政策が許容されることは考えにくい。
米国以外では?:中国のケース
厚生効果が小さいならば、生活の総合的な質の向上を目的として、空間的に人々を移住させる政策は、少なくとも米国では意味がないことを示唆する。しかし他の国ではどうだろうか?同じような実験を中国で試したところ重要な違いが見つかった。例えば、もし中国におけるすべての都市で効率性が同じレベルになった場合、厚生は47パーセント上昇する。また、生活環境が同じレベルになった場合、厚生は13パーセント増加する。米国ではそれぞれ2.5パーセントと2.3パーセントであることを考慮すると、中国の数字は数量的に大きいと言える。
当然のことながら、効率性や生活環境のレベルがより均等な分布になれば、都市規模の分布もより均等なると予想される。しかし、まったく反対の研究結果が得られてしまう。もし中国におけるすべての都市で効率性もしくは生活環境が同じレベルになると、都市規模の分布はより散らばって、大都市はより拡大して小都市はより縮小する。生活環境の点から見るとこの結果は理解しやすい。つまり、米国と対照的に、中国の大都市では平均的に生活環境がより劣悪である。このような都市の生活環境を平均レベルまで改善すると、都市の規模はさらに拡大するからである。効率性の場合、もっとも大きな大都市において効率性が平均レベルになると人口は流出する。一方、好ましい生活環境に恵まれた中間規模の都市のいくつかは、都市規模が拡大して、現在一番大きな大都市よりさらに大きく成長するだろう。
言い換えると、効率性や生活環境における中国の都市間の違いを是正する政策を取れば、厚生が大幅に改善するのみならず、都市規模の分布がより拡散するであろう。中国の都市は小さすぎると主張したAu and Henderson (2006)の先行結果と整合的である。
結論として、巨大都市の消滅とは正反対に、巨大都市はもっと多く存在してもよく、さらに巨大都市の規模はもっと大きくなるべきかもしれない。
参考文献
Au, C-C and JV Henderson (2006), “Are Chinese Cities Too Small?,” Review of Economic Studies, 73:549-576.
Desmet, K and E Rossi-Hansberg (2010), “Urban Accounting and Welfare,” CEPR Discussion Paper 8168.
Rappaport, J and JD Sachs (2003), “The United States as a Coastal Nation,” Journal of Economic Growth, 8:5-46.
UN-Habitat (2010), The State of African Cities.
翻訳:COE特別研究員 田中清泰