Hi-Stat Vox No.20(2011年8月1日)

北朝鮮の統計情報を検証する

文 浩一(むん ほいる)(一橋大学経済研究所特任准教授)

Photo: Moon Ho-Il

はじめに

最近、日本の朝鮮史研究会では『朝鮮史研究入門』を刊行した。そこでは日本における韓国・北朝鮮の研究状況が整理されている。たとえば経済に関しては、つぎのように指摘されている――「日本における北朝鮮経済の研究は総じて低迷状態にある。…資料や情報の不足も手伝ってほとんどの研究者から忘れ去られた存在となってしまった」。経済に限らず、北朝鮮研究レベルが全体的に低いことは、かねてから指摘されている(たとえば、和田〔1998〕)。

一方で、安全保障の観点から、あるいは歴史清算の観点から、そして究極的には関係正常化の観点から、北朝鮮は無視できない存在でもある1。この限りにおいては、北朝鮮を知る必要はある。

つまり、北朝鮮研究の「需要」はあるのだが、「供給」側の質は決して高くない。研究が十分に行なわれていないが故に、いくつかの統計情報は、しっかりした検証を経ずに間違ったまま「供給」されてしまっている。ここでは、私の博士論文(文浩一〔2008〕)を参考に、二つの事例を紹介してみよう。

1. 兵力

北朝鮮では、軍隊を創設して以来、兵力数を公表したことがない。故・金日成主席は1963年に、「わが国(北朝鮮)は社会主義国家のなかでは人口比率で最も軍人の数が多い」と語ったことがあるが2、その絶対数については公表していない。そのため、兵力数は様々に推計されている。その代表が、イギリスの国際戦略研究所(IISS)の「ミリタリーバランス」である。

「ミリタリーバランス」のデータは、日本政府も公式に採用している。たとえば、外務省のウェブページの「北朝鮮」紹介欄をみると、北朝鮮の兵力は、陸軍102万人、海軍6万人、空軍11万人であると指摘し、その出典を2011年版「ミリタリーバランス」と記している。しかし、「ミリタリーバランス」では、このデータをいかに導き出したのかを明らかにしていないので、おそらく日本政府もしっかりした検証を経ずに引用していると思われる。

じつは、北朝鮮は兵力数について間接的に「公表」したことがある。しかし、このことはあまり知られていないようである。

北朝鮮は、これまでに2回にわたって人口センサス(以下、センサス)を実施した(1993年期末基準と2008年10月1日基準)。センサスは、国連人口基金(UNFPA)と韓国の統一基金からの支援を受けており、その見返りとしてセンサスデータの公表が義務づけられた。

公表されたセンサスの集計結果を見ると、奇妙なことに、行政区域別人口の合計と総人口とが一致しない。行政区域別人口よりも総人口の方が多いのである。その数は、1993年の場合は69万1027人、2008年の場合は70万2373人である。つまり、この約70万人は行政区域別に登録されていないことを意味する。

このような現象が起きる理由は、北朝鮮の公民登録制度に起因する。北朝鮮は、日本の植民地時代の戸籍法を無効とし、それに代わって「公民証」という身分登録制度を築いた。公民証は、当該の居住地域の社会安全機関(日本の警察署に当たる)で公民登録を行ない発給を受けることになっている。

ただし、公民登録法によると、すべての公民が公民登録を行なうのではない。公民登録法の第13条では、「公民が朝鮮人民軍および朝鮮人民警備隊と社会安全および国家安全保衛機関に入隊したり、または死亡した場合や精神病にかかって朝鮮民主主義人民共和国国籍から除籍された場合には、…公民証を居住する地域の社会機関に返還する」と規定されている。つまり、センサスにおける総人口と行政区域別人口との合計の差の約70万人は、上記の「朝鮮人民軍および朝鮮人民警備隊と社会安全および国家安全保衛機関に入隊したり、または死亡した場合や精神病にかかって朝鮮民主主義人民共和国国籍から除籍された」人々であると解釈できる。

この70万人の人口学的特徴を探ると、その大半が朝鮮人民軍である可能性が高いことがわかる。

下図は、1993年センサスの行政区域別人口データから作成した年齢別性比分布である。人口は、出生時においては男児が女児よりも若干多い(その比率は女児1対男児1.05±0.01といわれている)。その後、歳を重ねるにつれて男性の方が死亡率が高くなるので、年齢別性比分布曲線は滑らかに漸次的に低下していく。ところが、下図から視覚的に確認できるように、若年層の年齢別性比分布曲線に括れが存在する。その括れが現れる期間は、正確には16歳から26歳人口においてである。下方に括れるということは、性比の(分母ではなく)分子である男性の数が減っているからに他ならない。

図 年齢別性比分布(1993年センサス)

Figure

括れが始まる「16歳」というのは、北朝鮮の義務教育の修了する歳と一致する。北朝鮮では「全般的11年制無料義務教育」と称する教育制度を施行しており、これは満5歳からはじまり、その課程は幼稚園上級班1年、人民学校4年、高等中学校6年である。そして、義務教育を終えると、一部は大学に進学し、一部は就職し、一部は軍隊に入隊することになる。「公民登録法」によると、このうち軍隊に入隊した者は公民登録から外される(行政区域別人口から外される)。そして、軍隊に入隊する大半は男性である。つまり、素直に考えると、行政区域別人口に属さない約70万人はほとんどが軍人であるということになる。仮に、その大半が精神病や死亡などにより行政区域別人口から外されたとするなら、年齢別性比分布曲線の括れが26歳で終了することの説明がつかない。

もちろん、上記の70万人のなかには軍人以外の人口も含まれている可能性はある。ただ、この「約70万人」という数字は、北朝鮮の兵力数を推計する上での「上限」となる。このことから、先の「ミリタリーバランス」の数字は過大推計であるといえよう。

文浩一(2008)は、人口統計学における生命表(life table)の作成のために、行政区域人口と総人口との開きの原因や括れの人口学的特徴を追究したのだが、この研究は意外なことに、人口学ではなく北朝鮮の軍事研究者から注目されているようである。宮本(2009)は文浩一(2008)を引用しながら、「ミリタリーバランス」の推計データを批判している。

2. 飢饉

北朝鮮の飢饉についても、根拠の乏しいデータが多分に出回っている。

北朝鮮の飢饉は、食糧不足と経済の低迷により1990年代後半に起きた。当初、飢饉の規模は、数百万人といわれていた。「数百万人餓死説」を主張した論者は多数いるが、なかでも「実態調査」にもとづくとして統計的根拠を提示してその「信憑性」を付与したのは、韓国のKorean Buddhist Sharing Movement (KBSM) が初めてであると思われる。

KBSMは、中国の対北朝鮮国境地域に潜伏する食糧難民を対象に度々面談調査を行ない、そのつど飢饉の実態を推計してきた。これらは数次にわたって公表されており、当初は、水害(1995年)以後1997年までの3年間に約200万人であったとされていたのが(1997年11月14日付『京郷新聞』〔韓国〕)、後に約300万人に修正され(『時事ジャーナル』〔韓国〕1998年3月19日)、最終的には約350万人とされた(KBSM『脱北食糧難民1694人面談報告書』1998年12月および姜貞求・KBSM他『北韓住民の悲鳴』1999年、韓国浄土出版〔韓国〕)。

この「350万人餓死説」は、その後、いくつかの証言や研究によって裏付けられていく。たとえば、1998年に自らの手記を出版した元チュチェ思想研究所所長の黄長燁(1997年2月に韓国に亡命)は、つぎのように証言している。「1996年11月、私は経済状況について非常に懸念し、農業統計と食糧問題を担当するある幹部にどのくらい餓死者が出ているのかを質問した。彼は、『1995年、5万人の党幹部を含め約50万人が餓死した。1996年には約100万人が餓死したと推定される』と答え、さらに続けた。『もしまったく国際援助が供与されなければ1997年には200万人が餓死するだろう』」(黄長燁〔1998〕)。合計がKBSMと同じ「350万人」というのは、奇妙な一致である。

黄長燁の提示したデータには2つの疑問がある。第一に、「農業統計と食糧問題を担当するある幹部」とはいったい誰であるのかという疑問である。北朝鮮における統計事業は国家中央統計局によって行なわれるが、人口総数などの静態統計と死亡などの動態統計に関しては、人口部によって集計される。この人口部は、従来はなかったが、1993年人口センサスを機に設置された比較的新しい機関である。したがって、彼が根拠とした「ある幹部の話」とは、一見すると一次資料であるかのように思われるが、その「ある幹部」が「農業統計と食糧問題を担当」している以上、一次資料ではない。

第二に、「ある幹部の話」に登場する餓死者の数はどのように集計されたのだろうかという疑問である。人口統計学的にいうと、飢饉が起きている最中に飢饉の被害規模を算出することは難しい。その理由の一つは、飢饉が起きても、実際には飢え死にする人はほとんどいないからである。多くの場合は、体力や免疫力が低下して伝染病などの疾病に犯されて死亡するという病死の形態ととる。病気による死亡は、飢饉が起きていなくても発生する。この両者の違いを区分することは難しいのが実情である。また、仮に餓死であることが明らかであったとしても、死亡原因として「餓死」と明記されることはない。国際疾病分類 (International Classification of Disease [ICD]) によると、「餓死」は死亡原因に分類もしくは含まれておらず、北朝鮮でもこの分類にしたがっている。過去の国際的教訓からしても、飢饉の被害集計は、発生から数年を経て人口構造などの特殊な要因を考慮して行なわれるのが常である。1997年当事に「ある幹部」がすでに北朝鮮の飢饉被害の規模を集計していたとは考えられない。

ここで、原典に帰ってKBSMの「350万人餓死説」がいかにして推計されたかを吟味してみよう。現在は削除されているが、KBSMはホームページで調査内容を公開していた。それによると、彼らの調査方法は、食糧難民からの聞き取りにもとづき、彼らの家族構成を再現して年齢別・性別構成を行ない、死亡率および死亡原因の再構成を行なうというものである。その結果を北朝鮮全体に反映したのが、彼らの飢饉推計に他ならない。ここで問題となるのは、彼らの発する情報が真実であったとしても、その情報をそのまま北朝鮮全体に反映することができるのか、ということである。

調査結果には、調査対象の出身地域別構成も示されている。それによると、調査対象の80%は北朝鮮の東北地方である咸鏡南北道で占められている。実は、この地域は、北朝鮮において飢饉の発生以前から死亡率がもっとも高い地域であった。水害(1995年)以前に行なわれた1993年のセンサスによると、咸鏡北道の粗死亡率(1000人当たりの死亡数)は6.5‰、咸鏡南道のそれは6.4‰となっており、これは全国平均5.5‰を上回るものである。このことから、すでにKBSMの選定した調査対象は飢饉推計を誇張する方向にバイアスのかかったものであることがわかる。また、国連などによる現地調査が最近は活発になっているが、それらの調査では、北朝鮮の東北地方は全国的にみて食糧の生産基盤が脆弱であり、飢饉の被害を受けやすい地域であることが指摘されている。つまるところ、KBSMは、死亡率の最も高く、かつ飢饉の影響を最も受けた地域から調査対象を選定して、それを全国レベルに反映していることになる。

文浩一(2008)では、北朝鮮の飢饉被害の規模(1995~2000年)を33万6000人と推計した。これは、「超過死亡」という概念を用いた推計であり、飢饉時の全体の死亡数から平時の死亡数を差し引いた数が、まぎれもなく飢饉被害規模であるという考え方にもとづくものである。

光栄なことに、拙稿の推計は韓国の統計機関からも評価されているようである。2010年11月22日に韓国統計庁は「1993~2055年北朝鮮人口推計」を発表し、飢饉の規模を33万6000人と推計して発表した。これは私の推計と同じである。もとより、2010年8月頃に韓国統計庁から、北朝鮮人口推計のために拙稿(文浩一〔2008〕)を要望されたので提供したという経緯がある。おそらく、拙稿の内容がかれらの作業にも貢献したのであろう。

むすび

文浩一(2008)は、北朝鮮に関する誤った統計情報を質すことに結果的には貢献しているようだが、本来の目的は別なところにある。

北朝鮮の諸問題を追究しようとすると、どうしても公式発表の資料に依存せざるを得ない。公式発表とは、とりもなおさず当局によって作成されたものである。したがって、それらを利用して追究された内容とは、「統治する側」から見た北朝鮮のイメージに偏ってしまう危険がある。日本で行なわれている「北朝鮮」の歴史研究でさえ、統治者の歩んだ歴史に偏りがちである。

「歴史人口学」の権威であるリグリィは、つぎのように語っている――「歴史人口学は、権威があるとか、生まれが良いとか、裕福だとか、あるいは教育があるというような人ばかりでなく、すべての男と女を取り扱う。教区簿冊、住民台帳、国政調査当局にたいして作られた報告書、およびそれに類したものを分析することによって、農民とジェントルマンを、鉱夫と織工を、そしてまた農村の人と都市の住民等を比較しながら、われわれは過去における庶民の生活をうかがうことができる。」(リグリィ、速水訳〔1982〕13頁)

北朝鮮の庶民の生活を人口学的に観察することで、「統治される側」から北朝鮮を見つめなおしたい――これが私の北朝鮮人口研究の本来の目的である。

文浩一(2008)は、その後に行なわれた最新の2008年センサスも含めて加筆・修正し、『朝鮮民主主義人民共和国の人口変動』(明石書店)としてまもなく出版される。「北朝鮮を統治される側から見る」という筆者の研究目的とその成果が、本書をつうじてより明瞭に伝わることを期待している。

脚注

  1. かつて日朝国交正常化交渉の日本側大使を務めた遠藤哲也氏は、1) 北朝鮮との間の不幸な過去にきちんとした区切りをつけるため、2) 日本の安全保障のため、3) 地理的・歴史的に近い国であるため、の3点から国交正常化の必要性を説いている(遠藤哲也〔2004〕)。
  2. 金日成「わが人民軍隊は労働者階級の軍隊、革命の軍隊である。階級的政治教育事業をひきつづき強化しなければならない」朝鮮人民軍部隊政治部連隊長以上の幹部および現地の党と政権機関の活動家の前で行なった演説、1963年2月8日、『金日成著作集』第17巻

参考文献

朝鮮史研究会編『朝鮮史研究入門』名古屋大学出版会、2011年6月10日

遠藤哲也「日朝国交正常化交渉の今後:その目的と問題点の考察」『世界週報』2004年9月28日

和田春樹(1998)『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』岩波書店

宮本悟(2009)「2008年人口センサスから見た北朝鮮の総兵力数」日本国際問題研究所ウェブページ「コラム」

文浩一(2008)「朝鮮民主主義人民共和国の人口変動:人口行動変容の実態とその要因」一橋大学・学位論文(博士)

黄長燁(1998)『北朝鮮の真実と虚偽』光文社

リグリィ, E. A.、速水融訳〔1982〕『人口と歴史』筑摩書房(原著は、Wrigley, E. A., Population and History, London: Weidenfeld and Nicolson, 1969)