Hi-Stat Vox No.28(2013年3月25日)

北朝鮮の一次資料は信頼できないのだろうか
—黒坂真教授の書評への反論—

文 浩一(一橋大学経済研究所特任准教授)

Photo: Moon Ho-Il

拙著『朝鮮民主主義人民共和国の人口変動』が出版されて以降、いくつかの学術誌で書評が掲載された。そこでは、拙著の人口学的もしくは北朝鮮研究史的な意義と問題提起が指摘されており、筆者にとっては刺激と励みとなっている。

しかし、黒坂真氏(以下、評者)の書評(『比較経済研究』第50巻、第1号、2013年1月)は、他の書評とは異なり、拙著で利用した資料に疑問があるので、拙著の推計は信憑性にかけるものと指摘している。評者の指摘には、一般論としての北朝鮮問題や人口問題に関する理解が不足しているところがあり、また拙著の内容にたいしても曲解している箇所が見られるので、この場を借りて書評への反論をしたい。

評者の指摘は、主に拙著の飢饉分析(第8章)におかれているので、以下、拙著を読まれていない方のため、簡単にその概要をのべておこう。

北朝鮮では、1990年代に飢饉が発生した。これを機に、いくつかの飢饉分析が行なわれた。脱北者からの情報にもとづく分析や、中国・大躍進の際の飢饉をモデルとした分析など多数に及ぶが、拙著ではそれらをリファーした後、独自に飢饉推計を試みた。具体的には、平時における超過死亡数を飢饉の規模と定義し、北朝鮮が公表する公表統計から算出するという方法を用いた。

北朝鮮はこの間に1993年と2008年の二回にわたって人口センサスを行なっている。しかし、拙著では2008年のセンサスについては、時間的制約により推計の際に利用できなかった。代わりに用いたのが北朝鮮の登記人口調査統計である。そして、飢饉の規模は33万6000人と推計された。2008年のセンサスを用いた推計は、幸いなことに韓国統計庁が行なってくれた。そして、その結果は33万6000人となり、拙著の推計と一致するという「ハッピーな結果」となった。

ところが、評者は1993年センサスおよび北朝鮮当局の公表統計は信頼できないとしている。信頼できない情報にもとづいた推計であるなら、推計結果も信頼できないということであろう。

評者は、信頼できない理由について5項目にわたってのべられているので、以下、順を追って反論する。

(その1)「センサス実施のための資源配分の現実性と『税はない』」への反論

センサスを行なうためには、当然のことながら費用がかかる。評者は、センサス費用は北朝鮮にはない、あるいはあってもセンサスのために支出できないという。センサス費用に関する評者の意見は、以下の二点である。

第一に、北朝鮮は計画経済であるが故に、センサスのための費用は計画経済に狂いをもたらす。したがってセンサス実施のための資源配分の現実性はないというものである。そして、北朝鮮政府にはそもそも税収がないので、センサス実施のための費用をねん出することができない、というが第二点である。

この二つの指摘は、いずれも誤りである。第一に、センサスは国家予算で行なわれたのではない。すでに本書(34ページ)で指摘しているとおりであるが、国連人口基金(UNFPA)では北朝鮮にたいする支援プログラムの第二サイクルとして総額600万ドルを支援している。そのうち52%が1993年センサスに支出された。筆者は、この間の訪朝をつうじて人口研究所などの関係者から、センサスのために300万ドルの費用がかかったという話を聞いている。それらはUNFPAから支援を受けたとしている。

評者は、国勢調査実施のためには、数万人の調査員の講習のために書物やノート、鉛筆などを配布しなければならないが、そのような予算はないはずだと言っている。ところが、評者の指摘には「書物やノート、鉛筆」などの具体的な費用が指摘されていない。

参考として、簡単な計算をしてみよう。2002年当時の平壌市の某市場では鉛筆とノートがそれぞれ10ウォンで販売されていたので、セットで20ウォンということになる。当時の為替レートは1ドル=400ウォンである。つまり、1ドルで鉛筆とノートを20セット用意することができるという計算であり、300万ドルあれば、6000万セット用意できることになる。評者が何故センサスのための予算がないと言っているのか不明である。

ちなみに、1995年の韓国の人口センサスの予算は540億韓国ウォンであった。一方、300万ドルを当時の公式為替レート(1ドル=2.2ウォン)で北朝鮮ウォンに換算すると、660万ウォンである。ここで、540億韓国ウォンと660万北朝鮮ウォンを購買力平価で換算して比較してみよう。文成民・金勇福(2002)によると、購買力平価でみた場合、北朝鮮の1ウォン=韓国の2006.8~3873.7ウォンである。つまり、北朝鮮の660万ウォンは、最低値の2006.8ウォンを適用しても132億韓国ウォン以上となる。北朝鮮の人口は韓国の半分程度なので、人口センサスを実施するには十分な金額といえよう。

第二に、北朝鮮政府に税収がないとする評者の指摘自体が誤りである。北朝鮮では毎年最高人民会議を開いて年間の国家予算を審議策定している。予算の審議は歳入と歳出に分かれており、歳入に関しては、国家企業利益金、取引収益金、協同団体利益金、固定資産減価償却金、不動産使用料、社会保険料、財産販売など多数存在する。個人にたいする所得税(直接税)がないに過ぎない。北朝鮮の国家予算のシステムを理解していない指摘であり、国家運営の予算は存在する。

さらに、評者はセンサスのために「朝鮮中央銀行が紙幣を増刷したのか」と乱暴な意見を提示しているが、これも朝鮮中央銀行の紙幣発行制度を理解していない指摘である。紙面の制約上、割愛させていただくがこの問題については、文浩一(2011a)で詳しく説明しているので、そちらを参照されたい。

(その2)「社会安全部、国家安全保衛部への依頼の有無」への反論

評者によれば、1993年センサス程度の情報なら、(日本の警察にあたる)社会安全部や国家安全保衛部が把握しているはずだという。そして、センサス実施のための中央常務委員会(委員長は副総理)は社会安全部などの機関へ情報提供を依頼しなかったという。

この指摘も誤りである。しかも、拙著のどこにもこのような記述はなく、評者が何を根拠にこのような指摘をしているのか、不明である。

一般に人口統計は、登記人口統計とセンサス統計の二つに分かれる。登記人口統計とは、住民の届け出にもとづいて作成される統計であり、センサス統計は定時回帰的に全数調査される統計のことである。北朝鮮では住民の出生や死亡、結婚、移住などの届け出は社会安全部が担当し、登記人口統計が集計される。

評者は、社会安全部にたいして情報提供を依頼しなかったとしているが、センサスのための中央常務委員会では情報を得ている。センサス実施のための中央常務委員会には、人口研究所も含まれており、彼らは登記人口統計とセンサス統計との整合性をチェックしている。その結果については拙著の64~65ページに記述しており、登記人口統計には、とくに死亡の届け出漏れがあったことが明らかとなった。

「センサス程度の情報なら社会安全部が把握しているという指摘」は、登記人口とセンサス人口の質の違いを理解していないと言わざるをえない。登記人口統計は、住民の届け出にもとづく統計であるが故に制約があり、「センサス程度の質の高い情報」を社会安全部は持っていないのである。したがって、定期的に全数調査のセンサスを行なう必要がある。日本では住民基本台帳があるにもかかわらず、なぜ国勢調査を行なうかについては、総務省のホームページ(http://www.stat.go.jp/data/kokusei/qa-1.htm)に丁寧な解説があるので、ぜひ参照されたい。

(その3)「政治犯と被拉致日本人、金正日の家族にたいするセンサス」への反論

歴史資料として古い時代のセンサスの個票が開示されることがあるが、それらは、プライバシー尊重のため、個人の死亡などを前提に一定の年月がたたないと開示されない。

(その4)「朝鮮人民軍の機密、金正日の個人情報とセンサスの関係」への反論

評者は、「公民証をもたない『特殊人口』は登記人口から外れるので、軍部や金正日ファミリーへの調査はできなかった」と指摘している。

しかし、「公民証をもたない『特殊人口』は登記人口から外される」問題と「軍部や金正日ファミリーへの調査」は、まったく別問題である。

「公民証をもたない『特殊人口』」とは、主に軍人であるが、これについては「公民登録法」に明記されている。彼らは公民証をもたないので、「住所」を持たないということになり、したがって、センサスの行政区域別人口からも外される。だが、センサスの調査対象から外れるのではない。「特殊人口」の数は69万1027人であると、1993年センサスでは示している。評者は、行政区域別人口から特殊人口が除外されているので、センサスの調査対象からも外れると曲解しているようである。

また、特殊人口にたいして調査員が立ち入ることができたのか、と疑問を呈しているが、調査員が立ち入らないケースは、過去の日本にもある。戦前の日本の国勢調査では、陸海軍とも、調査対象となっているが、在営の軍人は、その所属する部隊で調査された。一般の調査員が入れなかったからといってセンサスが信頼できないという根拠とはならないのである。

(その5)「北朝鮮は国際援助を得るために統計情報をねつ造した」への反論

もちろん、統計情報にまったく問題がないわけではないが、人口統計を調べるために訪朝したEberstadt(1995)は、途上国にありがちな問題であると指摘しており、歪曲した可能性については否定的であった。

評者の指摘は「統計情報をねつ造」よりも、『金日成著作集』の資料的価値への批判に向けられている――「本書の手法は、北朝鮮当局の公式発表や金日成の著作の記述が基本的に北朝鮮社会の反映であると認識し、脱北者の話を…退けている。脱北者や訪朝経験のある元朝鮮総連幹部、特に南朝鮮革命工作機関に所属していた人からのインタビュー調査(以下、北朝鮮関係筋―引用者)を実施することを望みたい。金日成著作集とは『統治する側から見た北朝鮮像のイメージ』でしかないのだ」と指摘している。

最後の「北朝鮮像のイメージ」という表現自体が同義反復であるので質すべきだが、それよりも筆者が本書の中で『金日成著作集』をどのように活用したのかを曲解している。筆者は、北朝鮮の人口政策を整理するために『金日成著作集』を活用したのである。政策とは、統治する側から見た北朝鮮像にもとづいて策定されるものである。研究資料として一次資料にあたるのは当然のことである。評者はそれを批判し、『金日成著作集』の資料的価値を認めない一方で、「北朝鮮には税がない」(前述のとおり、これは誤りであるが)と主張するために『金日成著作集』を引用しており、一貫性に欠けている。

評者は、二次資料である、脱北者の証言や北朝鮮関係筋の情報に価値を見出し、一次資料である『金日成著作集』や公表統計を排除しようとしているようである。しかし、北朝鮮関係筋にもとづいた研究や報道にも誤りがあることを、評者がどれだけ承知しているのか疑問なので、最近の事例をいくつか挙げてみよう。

李(2012)は、北朝鮮関係筋の情報をもとに北朝鮮の軍人は106万から116万人であると推計している。これは、北朝鮮がセンサスで明らかにしている約70万人よりはるかに多い。

李が根拠とするのは、北朝鮮の軍事服務法(2003年制定)であるが、彼は同法の原文を見ておらず、北朝鮮関係筋から得た情報をもとに「兵役期間は10年」と定められていると解釈している。この「10年兵役」を根拠にすると、上記の100万人以上の軍人が推計されるというものである。そして、この推計結果は、イギリスのミリタリーバランスや韓国国防部の推計に近いと指摘している。

しかし、「兵役期間を10年」と定めた条文は「軍事服務法」のどこにもない。「軍事服務法」では、兵役期間について次のように定めている。

(第13条 正規軍事服務年限)正規軍事服務年限は、軍事人員にたいする重要と招募対照を考慮して国家が定める。国家は軍種別、兵種別または服務条件に応じて正規軍事服務年限を個別に定めることができる。

(第14条 非正規軍事服務年限)国家の科学技術、スポーツ、芸術発展に特別に貢献することができる公民の軍事服務年限は1年または3年とする。当該の機関、企業所、団体は1年または3年軍事服務対象を定められた基準にもとづいて選抜しなければならない。

つまり、李(2012)で前提としている「10年兵役」が誤りである以上、彼の推計結果にも無理がある。一次資料ではなく二次資料にもとづいた分析の制約である。

このような例は、人口の推計以外でもみられる。『朝日新聞』(2013年2月4日付)は、北朝鮮関係筋として平壌の武装装備館(2012年4月開館)に展示されている長距離弾道ミサイル「火星13号」は、2012年に北朝鮮が打ち上げた「人工衛星と称する事実上のミサイル」に利用された「銀河3号」と同じものであることが確認されたと報じている。報道によると、「火星13号」は直径が2.4メートル、長さが26メートルで「銀河3号」と同じであるという。武装装備館ではミサイルとして展示されているのだから、今回打ち上げたロケット「銀河3号」もミサイルであるということであろう。しかし、この数字は誤りである。筆者は休暇時の2012年12月に武装装備館を訪れて、直接確認している。「火星13号」の直径は2メートル、長さは24メートルであり、「銀河3号」とは別物である。つまり、「火星13号」は「人工衛星と称する事実上のミサイル」と主張できる根拠にはならない。これもまた、一次資料ではなく二次資料にもとづいた報道の制約である。

評者にたいしては、二次資料ばかりでなく、一次資料にも価値を見出してくれることを期待する。

参考文献

李碩(2012)「北朝鮮の軍人は実際は何人か?」KDI(韓国開発研究院)政策フォーラム、第250号、2012-07 (http://210.114.108.30/report/forum_report_view.jsp?pub_no=12697).

文成民・金勇福(2002)「2国間評価法による北朝鮮ウォンの購買力評価」韓国銀行調査局、2002年5月10日.

文浩一(2011a)「貨幣交換とマクロ動向」中川雅彦編『朝鮮労働党の権力継承』(アジア経済研究所、情勢分析レポート、No.15).

文浩一(2011b)『朝鮮民主主義人民共和国の人口変動』明石書店.

Eberstadt, N. (1995) Korea Approaches Reunification, The National Bureau of Asian Research.